外科医とイノベーション(田辺 元先生)

田辺 元

「ガバッと大きく開けて大きくとるんだよ。」

癌に対する拡大手術の提唱者であった西 満正教授が、檄を先輩諸兄に厳しく浴びせられるのを間近に見聞きしていた。35年以上前の入局したての身には、小さな術創で手術をすることは罪悪との観念を自然に植えつけられていった。しかしながら、ここ十数年で急速に発達してきた鏡視下手術では、従来の手術では不十分な視野しか得られなかった深く狭い術野でも、小さな術創で鮮明なしかも拡大視野が容易に得られ明瞭な解剖把握が可能となっている。さらに超音波凝固切開装置などの発達で出血も少なく良好な視野で繊細な手術手技が行われるようになった。その結果、術後合併症が少なく回復が早い。まさに低侵襲手術でイノベーション(技術革新)の賜物であり、古い固定観念が大きく覆され隔世の感を否めない。

しかし、鏡視下手術は患者には低侵襲であるが、術者側には高侵襲だ。映像を見ながら特殊な器具を用いるため、それらの特性や使用法への習熟を要する。また綺麗な術野を確保し円滑な手術操作を行うには助手、カメラ持ち、介助の看護師、麻酔医など鏡視下手術に関与するスタッフの協力が不可欠で、チーム医療の極致ともいうべき環境構築が求められる。王監督の胃全摘を鏡視下で執刀した宇山一朗教授、大腸の福永正氣教授、胃の福永 哲教授など鏡視下手術の達人たちは、いずれも冷静沈着でフレンドリーである。アウェイではじめての手術室やスタッフであっても、周囲と良好なコミュニケーションを図り心地よい作業環境を作りスマートに手術をされる。このようにイノベーションの実りを外科医が享受するには、技術や知識を修得する努力に加え、冷静沈着さ・忍耐強さ・寛容性そしてコミュニケーション能力が必要なのであろう。

 

外科医にとってのイノベーションには2種類ありそうである。外科医を楽にして外科医のQOLを高めてくれるものと、外科医に極度の修練と忍耐を強いて外科医のQOLを損ねかねないもの、である。

前者の代表は、夏越教授が使っておられるという手術用ルーペだろう。教授の手術用ルーペはメガネに拡大鏡を装着したもので、首の前屈を要さず自分の手元が見えるという。首をまっすぐしたまま術野の観察ができ、しかも2-3倍の拡大像が得られるため長時間手術でも楽なようで、「世界が変わりました。」とのこと。また、CTやMRIの3D画像も手術イメージを構築しやすく、外科医を楽にしてくれるイノベーションの一つであろう。

一方、後者の代表は、一つの小切開創で行う単孔式鏡視下手術や体表には創が残らないというNOTES(natural orifice translumenal endoscopic surgery:経管腔的内視鏡手術)ではないだろうか。体表の傷が残らないからといって、経口的内視鏡で胃切開下に大腸を切除したり経肛門的や経膣的に胆嚢や胃を切除したりとなるとかなりのスキルが要求され、その修得には並々ならぬ鍛錬が必要であろう。一般市民が望んでいることを理由に、その技術修得に懸命な外科医たちも見受けられる。ちょうど難解なゲームソフトに取り憑かれ、親の注意も聞かず独自の世界に入り込み友達とも遊ばず、いつまでも社会性を持てない子供をイメージしてしまう。高度な知識や技術の修得に躍起となるがあまり、外科医としての社会生活や家庭生活が破綻しQOLが劣化するのではと老婆心が沸き起こる。このような難易度の高い先進的医療は、大衆迎合して外科医大半が修得を目指すものではないと思う。外科医もイノベーションとバランスよく付き合っていくべきではないだろうか。

 

外科医としては高齢となった自分にとって最も望みたいイノベーションは、体力と気力の劣化を防ぐまたは高めてくれる革新的ツールである。体力に関しては、加齢黄斑変性症に対するiPS細胞の臨床応用が加速しているらしいことは喜ばしいことである。さらに気力の再生を図る手段ができるのはいつのことであろうか。

(阿久根市民病院)